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6月20日:手術、これが最後の手術

開腹しても手術できないかもしれないと聞いていたが、手術できた。
大腸が2箇所で縊れていて、真ん中の部分がソーセージのように腫れ上がっていたそうだ。

当初、バイパス術くらいしかできないだろうと言われていたのだが、ソーセージ部分を切り取って、端と端を繋げて、大きく通過できるようにできたそうだ。

これで、次に閉塞するまで、食事も摂れるだろうとのこと。ありがたい。
ただ、これが最後の手術になるらしい。

次に閉塞が起こったら、もう、手術できる腸管がのこっていないので、食事を止めて(水も!)、腸の動きを止めて、点滴だけで栄養を摂るそうだ。

食べられないのは残念だな。



手術の様子? (想像図)

手術の直前まで、遠山の金さんを観た

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